N1 の文章一覧へ
中文N1

市民講座と芸術

本文

以下は、市民向け講座の講師を務めた大学教員の話である。

正直なことをいうと、成人した人の集まりであるNHK文化センターで、美術の話をするのは、最初はかなり疑わしい気分だった。というのは、多かれ少なかれ社会に出たり、家庭を持ったりした経験があって、それなりの見識なり専門なりを持っている人々が、いまさら「役にも立たぬ」過去の芸術に、それほど深い興味を持つだろうなどとは思えなかったからである。また、仮に持ったとしても、(中略)それは、自分の好みに合った美術品を、楽しんで眺める、といった類のものであろうかと思っていた。ところが、それが①大変な間違いだということがわかった。

ひとひとと押し寄せてくる、にせものでない、深い興味が近頃の大学生にはこそ見つけることのできないものであった。はたちになるやならずの若者たちは、多くの場合、単位をとるためにそこにいるのであって、どこまで心から興味を抱いていてそこにいるか怪しいくらいである。(中略)②市民講座の熱心さは、かつて、喜びもなく学生時代を過ごした人々の、いわばノスタルジー(注)の場なのであろうか。失われて初めて、その喜びを知ったというわけなのか。私はそう思うようになった。

ところが、それもまた、間違いだということがわかった。1年と数ヶ月講座を続けた今は、あることがわかったのである。つまり、「芸術は、子供にはわからない」ということである。芸術とは、人生の経験であり、慣れであり、また失望と悲哀である。一枚の絵にも、人生が詰まっている。人生を生きていないものに、絵がわかるわけはない。もちろん、若者でも、ある程度はわかる。しかし、本当に深くわかるのは、すでに生きた人々である。

(若桑みどり『レット・イット・ビー』による)

(注)ノスタルジー:過ぎた日々を懐かしがること
単語よみがな意味品詞
見識
けんしき
knowledge, discernment名詞
ノスタルジー
のすたるじー
nostalgia名詞
悲哀
ひあい
grief, sorrow名詞

問題

50①大変な間違いだとあるが、何が間違いだったのか。

51②市民講座の熱心さとあるが、筆者は講座を受ける人たちが熱心なのはどうしてだと思っていたか。

52筆者が市民講座での経験を通して最も強く感じたことは何か。