本文
まがりなりにも教育学を専門とする者として、ここは言わせてほしい。現代日本社会の問題を、なんでもかんでも教育で解決しようというのはいただけない。確かに教育は、人間を育てることを通じて、人々の人生や社会の未来に対して、一定の貢献を為すことができる。しかし教育の役立ちの度合いは、決して大きいものではない。「教育学の基本のキ」だ。教えたからといって、その分だけ子どもが育つというわけではないし、子供の方が勝手に学んでいるということもある。
もちろん教師も教育学者も、その確率論的な育ちをどうにかして望ましい方向に向ける努力はするが、なんと言っても育つのは子どもなのだから、「必要な人材をきっちり社会に納品しなさい」などという注文を、そうそう請け負うことはできない。
そもそも教育は、経済のためだけのものでも、共同体の維持のためだけのものでも、家族のためだけのものでもない。市場も、国家も、地域共同体も、そして家族も、もっと役に立つ教育をしろ、意味のある教育をしろと言うけれど、それぞれ注文はバラバラなのである。もちろん教育は、それぞれの要求に確率論的に少しずつ貢献はする。しかしそれを推し進めて、どれかの目的のためだけに合理化・効率化しようとすれば、教育はずいぶんと歪なものになる。
教育に多くを期待しすぎず、過剰な負担を与えないことが、この社会と教育を持続させるためにいま一番必要なことなのではないだろうか。
(注1)耳をそろえて:不足なく
(注2)歪(いびつ)な:ゆがんだ
(注3)躍起(やっき)になる:必死になる
問題
問 62教育の役立ちの度合いは決して大きいものではないと考える理由として、筆者が述べているのはどれか。
問 63教育について、筆者の考えに合うのはどれか。
問 64筆者が最も言いたいことは何か。