本文
科学技術の進歩は、かつて不可能とされていたことを次々と可能にしてきた。遺伝子編集技術の精度は飛躍的に向上し、難治性疾患の治療への応用が現実味を帯びている。人工知能は医療診断や創薬の分野に浸透し、人間の専門家を凌駕する局面すら生まれつつある。こうした変化を前に、私たちは素朴な楽観論に安住することも、反射的な拒絶に逃げることも許されない状況に置かれている。
科学と倫理の関係を論じるとき、しばしば「科学は中立であり、問題はその使い方にある」という言説が持ち出される。しかし、この見方は重大な点を見落としている。科学的知識それ自体が、何を研究対象として選ぶか、どの問いを立てるかという段階から、すでに価値判断と不可分に結びついているのである。何百万人もの患者が苦しむ疾患よりも、富裕層が関心を持つ症状の研究に資金が集まるという現実は、科学が社会的権力関係から自由でないことを如実に示している。科学は中立な刃ではなく、それを誰が、どのような意図で鍛えるかという問いから切り離すことができないのだ。
では、倫理は科学に対してどのような役割を果たすべきか。ここで陥りやすい誤りは、倫理を科学の外側から規制を加える番人として位置づけることである。倫理的審査が事後的なブレーキとして機能するだけでは不十分であり、研究の設計段階から倫理的視点が内側から働く仕組みが必要とされる。倫理は科学を抑圧するものではなく、科学が向かうべき方向を照らす羅針盤として機能してこそ、その真価を発揮する。
問題をさらに複雑にするのは、科学技術の影響が時間的・空間的に広範に及ぶという点である。現在の研究選択が数十年後の社会を形作り、ある地域での技術開発が遠く離れた地域の人々の生活を変える。しかも、その影響を最も強く受けるのは、意思決定の場から最も遠い立場にある人々であることが多い。こうした非対称性を直視したとき、科学技術の倫理とは単なる手続き上の問題ではなく、誰のための科学か、誰が犠牲を払うのかという、本質的に政治的な問いと地続きであることがわかる。
科学の刃は鋭ければ鋭いほど、それを収める倫理の鞘もまた堅牢でなければならない。両者は対立関係にあるのではなく、人間の営みをより良い方向へ導くために不可分の関係として存在しているのである。
科学と倫理の関係を論じるとき、しばしば「科学は中立であり、問題はその使い方にある」という言説が持ち出される。しかし、この見方は重大な点を見落としている。科学的知識それ自体が、何を研究対象として選ぶか、どの問いを立てるかという段階から、すでに価値判断と不可分に結びついているのである。何百万人もの患者が苦しむ疾患よりも、富裕層が関心を持つ症状の研究に資金が集まるという現実は、科学が社会的権力関係から自由でないことを如実に示している。科学は中立な刃ではなく、それを誰が、どのような意図で鍛えるかという問いから切り離すことができないのだ。
では、倫理は科学に対してどのような役割を果たすべきか。ここで陥りやすい誤りは、倫理を科学の外側から規制を加える番人として位置づけることである。倫理的審査が事後的なブレーキとして機能するだけでは不十分であり、研究の設計段階から倫理的視点が内側から働く仕組みが必要とされる。倫理は科学を抑圧するものではなく、科学が向かうべき方向を照らす羅針盤として機能してこそ、その真価を発揮する。
問題をさらに複雑にするのは、科学技術の影響が時間的・空間的に広範に及ぶという点である。現在の研究選択が数十年後の社会を形作り、ある地域での技術開発が遠く離れた地域の人々の生活を変える。しかも、その影響を最も強く受けるのは、意思決定の場から最も遠い立場にある人々であることが多い。こうした非対称性を直視したとき、科学技術の倫理とは単なる手続き上の問題ではなく、誰のための科学か、誰が犠牲を払うのかという、本質的に政治的な問いと地続きであることがわかる。
科学の刃は鋭ければ鋭いほど、それを収める倫理の鞘もまた堅牢でなければならない。両者は対立関係にあるのではなく、人間の営みをより良い方向へ導くために不可分の関係として存在しているのである。
問題
問 1「科学は中立であり、問題はその使い方にある」という言説について、筆者はどのように考えているか。
問 2筆者が「倫理を科学の外側から規制を加える番人として位置づけることは誤り」と述べる理由はなぜか。
問 3筆者は、科学技術の影響における「非対称性」についてどのように述べているか。
問 4本文全体を通じて、筆者が最も主張していることはどれか。